「人生100年時代」といわれ、日本は健康寿命が世界一の長寿社会となりました。100年という長い期間を、健康でより豊かに活躍し続けられるよう、ストークお食事宅配便は日々の‘食’をサポートしております。 「健康は毎日の食事から」 ~管理栄養士が支える食生活~ 完全調理済み冷蔵宅配食のパイオニア「ストークお食事宅配便」は、37年の信頼と実績で健康維持に役立つ、家庭的で唯一無二のサービスです。
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「お食事宅配便」の履歴書

食彩倶楽部の化粧箱・容器に入った状態の料理イメージ写真

比類無き「完全調理済み食事宅配サービス」

30年の感謝

「レパスト宅配サービス」は、2017年4月に「サービス開始30周年」を迎えました。これも偏に皆様のお引き立てのお蔭と、厚く御礼申し上げます。この機会に、我が国で最初の「完全調理済み食事宅配サービス(宅配食)」の歴史を渡って振り返ってみたいと思います。

レパスト

株式会社レパストは、昭和30年1月、東京銀座で創業した総合給食事業会社です。

その企業グループは、我が国の「給食業界本流」の一つであり、昭和2年頃大阪で、鮮魚商の「仕出し」から、商社の「社員食堂」(当時の言葉で「出張賄い」と言いました。)の受託に始まります。昭和35年、東京魚国株式会社となり、平成14年、株式会社レパスト(repast:英語で「食事、食品」を意味します。)と社名を変更して、現在、国内外に約700超の事業所を有し、1日に13万2千食を皆様に提供しております。

事業の夜明け

現在の「レパスト宅配サービス」は、昭和59年、前述の「社員食堂」受託で関係のあった丸紅株式会社で、新規食料事業開発「成人病給食プロジェクト」として、日清製粉株式会社、日本健康自然食株式会社他、新進気鋭の栄養士等が加わって、昭和59年10月にスタートしました。
昭和59年、日本は世界一の長寿国となり、新札(福沢諭吉の1万円札、新渡戸稲造の5千円札、夏目漱石の千円札)が発行され、日経平均株価が、初めて1万円の大台を突破する等、昭和61年後半から始まる「バブル景気」に向った年でした。社会構造も、昭和45年に「高齢化社会」(65歳以上の高齢者人口が、総人口に占める割合が7%を超えた社会)に到達し、「高齢社会」(同14%を超えた社会で平成7年に到達)の到来が話題となっておりました。
※平成19年、我が国は「超高齢者社会」(同21%を超えた社会)となりました。

10年後の社会

商品は、10年後(当時)の到来が予測された、「高齢社会」を見据えた事業構築が行われました。「成人病を食事で如何に悪化させないか」というテーマで、それまでに無かった「調理済みの食事宅配サービス(宅配食)」という業態の創造を目標としました。
当時の事業構築の調査結果を見ると、「やがて、日本人は食事を作らなくなる」、「糖尿病は予備軍を含む患者が激増し『国民病』になる」、「健康を謳った食品へのニーズが高まる」等といった見解が示されました。それから30年を経た今日、事実それに近い社会になったことは、かなりしっかりした先見性を持っての、企業化調査が行われ、それに基づき30年間の事業継続が可能になったと考えます。

こだわり

販売する商品へのこだわりは、商品企画段階から斬新で、比類無きものでした。30年を経た現在、「健康に配慮した食品」は世の中では当たり前のものとなっていますが、現在どこでも聞かれる「塩分、カロリーを控えた」、「手作り商品」等、これらのこだわりは、まだまだ「食事は家庭で作る」と言った考えが支配的であった世の中で、新規事業への取り組みに際してのお客様への誓いであり、その精神は30年間一貫して現在の「レパスト宅配サービス」に受け継がれております。

「成人病」を防げ

日本が「世界一の長寿国」となり、「成人病」(生活習慣病)発症を防ぐビジネスコンセプト作りが行われました。商品は夕食と朝食の2食で約1,100キロカロリー前後、減塩うす味、動物性脂肪を制限し、不足しやすい食物繊維、カルシウム、ビタミンCに配慮した商品を開発しました。

また、厳選食材の使用、食品添加物不使用への拘り、レストラン・懐石料理も取り入れ、ご家庭でのお召し上り準備時間5分以内等という条件が設けられました。

事業の具体化に当たっては、東京上野の衣料品量販店の社員食堂で、「良い食事のとり方」、「栄養バランスのとれた食べ方」を実践指導されていた、管理栄養士の高尾友企榮氏他の指導協力を受けることが出来ました。
ただいたずらに理論に偏ることなく、社員食堂での試みが「お食事宅配便」の原点となり、比類無き「完全調理済み食事宅配サービス(宅配食)」を世に出す力となりました。

内食、中食、外食

事業コンセプトが固まり、日替わりメニューで、皆様のお宅までお届けする為に、製造拠点の選定では苦労がありました。 「家庭で作る食事(内食)」がまだ主流の時代で、外食(食堂・レストランでの食事。1970年(昭和45年)ファミリーレストランの出現、戦後の「外食元年」と言われる)や、中食(持ち帰り惣菜、弁当)は、まだ成長過程にありました。 このため、安全、安心にお召し上がりいただける商品の製造拠点は限られており「駅弁」、「機内食」、「野球場弁当」、さらには、「病院内給食」の事業会社との検討が進められました。この中には当社の前身(東京魚国株式会社)との商談の記録も残っています。

宅配サービス

わが国には、江戸時代より「出前」、「仕出し」という顧客の元への飲食物を配送するサービスがあるのはご承知と思います。「出前」は比較的少量を火急にお届けし、「仕出し」は冠婚葬祭等ある程度纏まった数を届けるといった感覚的な違いがあります。「お食事宅配便」も当初は週5日(月~金曜日)の毎日のご利用で3営業日前までに予約をいただいてお届けする「仕出し」スタイルでスタートし、今日に至っています。

また、当時、食材を家庭に届けるサービスは開始されていたものの、完全調理済み食事の宅配サービスを「仕出し」スタイルでかなり広範囲で開始したのは、時の話題となり我が国での先駆けとなりました。

ストーク

1986年(昭和61年)9月の事業会社設立、商品のモニター向け試験販売を経て、87年(同62年)4月、「お食事宅配便」サービスが開始されました。

商品製造は、東京狛江に在った惣菜製造会社に委託することで決まりました。

また、商品の名称は幸せと健康を運ぶといった意味合いを持たせて「ストーク」(吉鳥と言われる鸛<こうのとり>)が企業名、ブランド名に決まりました。

 

エリア徐々に拡大

1987年(昭和62年)、日本国有鉄道(国鉄)がJR各社に分割スタートした春、東京都内、世田谷、狛江地区限定で「ストークお食事宅配便」もスタートしました。その後、行政区単位で営業エリアを拡大し、昭和から平成となった1989年(昭和64年、平成元年)までに、目黒、渋谷、杉並、武蔵野、三鷹、調布エリアまでお届けが可能となりました。

1994年(平成6年)からは神奈川県内に、更に、1999年(平成11年)からは千葉県と埼玉県内にもお届けが可能になりました。こうして2001年(平成13年)までに、ほぼ現在のサービスエリアにまで営業圏を拡大させることが出来ました。

「昭和から平成に」、「20世紀から21世紀」に掛けての事業構築は皆様のご支援、お引き立てにより順調に拡大していきました。

「当日製造、当日配送」

21世紀を迎えようとしていた時代にあっても、製造当日のお夕食時間までに「出前」や「仕出し」よりはるかに広範囲に、安全安心に商品をお届けすることは、大きな課題でした。

当時創生期にあった「宅配便」サービス事業でも「当日便」(当日集荷で当日配達)やチルド(冷蔵)専用配送便は未だありませんでした。

しかも、商品は安全安心を最優先に求められる食品なので、搬送にも特別な配慮が求められました。そこで、日本通運「ペリカン便」(当時)に「専用チャーター便」を要請、常温車の中に専用保冷袋と保冷剤を搭載し、お届けすることを考案しました。限定エリアでの営業時代はこの方法で乗り切ることができました。

また、お客様には配達時に極力ご在宅をお願いし、配送担当者の手から、お客様のお手に直接お渡しし、直ちに商品をご家庭の冷蔵庫に収納していただきました。「お手渡し」等と言う社内用語が使われたのもこの頃からの事です。
1999年(平成11年)のエリアの拡大、販売数増加に伴い、チルド(冷蔵)配送に特化した配送会社と提携し、それまでの戸配ノウハウを引き継ぎ、全車チルド(冷蔵)戸配体制を構築しました。

因みに、常温車で配送していた際の「保冷袋」の使用は、ドアの開閉による配送車庫内の温度変化や、「エンスト」なども想定して、フェイルセーフ(常に安全の確保)の意味からも、完全チルド(冷蔵)配送となった現在でも使用しております。

販路拡大

創業から約15年間は、主として新聞折り込み広告でお客さまへのサービス浸透を愚直なまでに進めました。チラシ内容は、「ある戦略」もあっていつも同じものとし、「ストーク」ブランドを構築する時代でありました。その甲斐もあってか、追随する同業もまだ少なく、マスコミの取材も多く受けました。広告チラシを新聞に折り込んだ当日の午前中は、お問合せ、お申込みの電話が鳴り止まなかった等、伝説的な話も「高齢社会」到来の象徴的事象であったかと考えます。

2001年(平成13年)の三越日本橋本店を手始めに、髙島屋、松屋、京王、東武、伊勢丹等(販売提携開始順)老舗百貨店との提携販売が実現、首都圏の百貨店で取扱いいただく唯一の比類なき食事宅配生活支援商品となりました。

新たな成長

老舗百貨店との提携販売は、配食事業に新たな成長をもたらしました。それまでの自らお客様を募り手売りする立場に、百貨店の「暖簾(のれん)」をお借りして販売する、商品供給元の立場も加わりました。
これらは、お客様への情報公開やエリア拡大等に繋がり、サービスの品質を高めました。その頃から台頭の兆しが顕著となった同業サービスとの明確な差別化となり、お客様、お取引先様からの信頼に繋がったと考えております。

また、お客様のご利用目的も生活習慣病対策に加え、日々の食生活での利便性をご評価いただいた、日にち指定のご利用が多くなりました。1日当り出荷数で1,500個を超えるまでになったのもこの頃のことです。

百貨店商品として定着をみた2005年(平成17年)、大阪・神戸間にてサービスを開始しました。首都圏と同じメニュー・レシピで商品製造してお届けしました。関東と関西での食文化、商慣習、食材嗜好、味の好みの違いは想像以上であり、得難き経験をさせていただきました。一旦休止させていただいている関西エリアでの営業は、お客様からの復活のご希望にお応えするべく、現在再開に向けて準備を進めています。

総合給食会社の挑戦

2010年(平成22年)10月、ストークは総合給食事業会社レパスト傘下の事業会社となりました。
翌年4月、東日本大震災の影響をうけ、お客様への商品のお届けを、何より優先させるべく奮闘の中、本拠地を東京、銀座に移して現在の株式会社レパストストーク営業部となりました。

給食事業会社として6 0年の歴史と伝統を持つレパストの総合力も加わって、更なる商品、サービスの充実と、多くの新しいお客様のご支援を頂戴し、レパスト他部社員と一緒に、事業の拡大をすることが可能となりました。

新たな歴史を築く

「レパスト宅配サービス」の事業開始が、「高齢社会」に向かう我が国での先駆的役割を担うことであったことは、前述させていただきました。いまや「超高齢社会」(高齢者人口比率21%以上)になったともいわれております。30年前と比較をして、医療技術の進歩とマスコミ、インターネット等に溢れる健康情報、食生活改善により、「高齢者は75歳以上」と提言がなされるまでになりました。一方、高齢者福祉、介護問題等多くの社会問題も浮上してきております。
百年の人生も夢でなくなった今日、「健康寿命」の更なる伸長の為にも、30年前に蒔いた種を、これからも大きな木に育てていきたいと考えております。

また、社会慣習、制度の変化に伴い、晩婚化や非婚化による単身生活者の増加は、外食に依存する若年、壮年層の健康管理面で社会問題になりつつあります。新たな時代に向けて高齢者向けに培った商品、宅配サービスを、より広いお客様に活かしていくことが課題と考えます。

お客様に「食を通じて健康を維持していただきたい」という強い思いが事業に結びつき、30年の歴史となりました。
いつの時代にあっても変わらない「健康」という価値を大切にし、「その時代によって変わっていく新しいもの、考え方を取り入れていく」、松尾芭蕉の唱えた「不易流行」を実践することが、「レパスト宅配サービス」の新たな30年に求められることと考えております。

「『お食事宅配便』の履歴書」をお読みいただき、有難うございました。改めて平素のご愛顧にお礼を申し上げますと共に、引き続き「レパスト宅配食サービス」をお引き立て賜ります様、お願い申し上げます。

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